【映画】運命を信じますか?/『(500)日のサマー』
運命を信じますか?運命の人はいると思いますか?
わたしはあまり信じていませんでした。運命とか、縁とか、そういうものをあまり肯定したくありませんでした。そういうものを肯定してしまうと、自分ではどうしようもできない事柄が存在することを認めてしまうようで、どうあがいても仕方がないことがあることを理解しなきゃいけないようで。そんな理由です。
大学受験や部活、資格試験、そういうものって、自分の力で結果を出したという面が大きいじゃないですか。もちろん運なんかも作用するし、周りの協力があってこそというのも当然なんですが、それでも自分が努力さえすればなんとかなってきた、というか、なんとかしてきたんですよね。手に入れたいものがあればそのために努力する。なんとしてでも手に入れる。これまでそういう力技でなんとかなっちゃってた。手に入らなかったものは単に自分の頑張りが足りなかったって、自分を納得させていました。
でも、ひととひととの関係って、そんなに単純じゃないですよね。わたしは30年近く生きてきてやっとわかりました。遅い。
自分が頑張ったところで相手を気持ちをコントロールできるわけではない。関係を維持したり発展させたりするためにはもちろん相手を思いやったり気遣ったり自分を制御したりすることが必要だけど、それが必ずしも自分の思い通りの結果になるとは限らないし、まして相手の気持ちを動かしたり変えたりすることが簡単にできるわけじゃない。
どんなにすきなひとがいても、そのひとが自分のことを同様に思ってくれるわけでなはい。自分が望む関係になれるわけでなはい。そういうとき、もう「縁がなかった」と割り切るしかないのかもしれない。運命のひとじゃなかった、そう思うしかないのかもしれない。
愛なんて、運命なんて信じないサマー。反対にサマーを運命の相手だと思いこむトム。
けれど結局、サマーはトムではない、“運命の人”と結婚します。
これって、サマーはこれまで“運命の人”と思えるひとに出会っていなかっただけなんですよね。運命を頑なに否定し、恋人というレッテルを張るのを嫌がり、型通りの関係におさまろうとしなかったサマーが、トムにこう言うんです。
私たちは運命じゃなかった
理屈じゃないと思います、こういうのって。理由を言葉ではうまく説明できない。
運命か運命じゃないかなんてどんなポイントでも見つけられる、どんなひとにでも運命だと思えることを探し出せる、でもそれをするかどうか。
身も蓋もない言い方をすれば、誰だって運命の相手になりえるんですよね。そこを自分でどう感じるかどうか。
もうね、人間同士の関係ほどやっかいでめんどうで難しいものはありません。もういいやって投げ出したくなる。それでも、それでも誰かと一緒にいることの素晴らしさを知っているから、結局またひとをすきになったり、尊敬したり、愛おしいと思ったりするんでしょうね。
失恋映画です。失恋して立ち直れていない男女の皆さまにお勧めです。わたしのすきな映画のひとつです。
ラストがね、ものすごくいいんです。ここでは書きませんが、元気が出る終わり方です。ぜひご覧ください。
作品情報】
『(500)日のサマー』(原題 <500>Days of Summer)
監督:マーク・ウェブ
出演:ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、ズーイー・デシャネル
製作国:アメリカ合衆国
公開:米 2009年 日 2010年