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【映画】『独裁者と小さな孫』

「明かりを消せ」

たったひとことで、たった電話一本で、大統領は街中の明かりを消すことができる。理由もなく。大統領の命令は絶対で、その国ではすべては大統領の意のままになる。大統領は、独裁者だ。

大統領は国を豊かにした。高層ビルを建てた。美しい、近代的な都市を作った。

大統領は国を貧しくもした。田舎では食べることすらままならない国民がたくさんいた。

そして大統領はたくさんひとを殺した。不穏分子を始末した。平和のために。自分のために。

そして、だから大統領の体制は崩壊した。クーデターが起こった。街中の大統領の写真に火がつけられた。

 

 

独裁すなわち悪であるとは、必ずしもそうだとはわたしは思わない。ただ、独裁政権がもたらす悲劇、国民の苦しみは、多くの歴史が証明している。なんでだろう、と思う。どうして独裁者は国民の不満に気付くことができないのだろう。もっと国民のことを考えていれば、自分や自分の家族だけじゃなくて、国のすみずみまで見ることができていれば。

 

印象に残っているシーンがある。

政権に不満を持ち国民を扇動した罪で服役していた男が、釈放されて家に戻る場面。男は妻の存在が服役中の支えだったという。彼女がいたから拷問にも耐えられた。数年ぶりにその愛妻がいる家に帰る。再会。彼女には子供がいた。別の男との。釈放された男は、妻に会うことだけを希望に生き延びたその男は、絶望してその場で命を絶つ。

彼女が彼を待てずに別の男性と一緒になってしまったのは彼女の弱さだし、そもそも愛する女性をひとりにしてしまったその男の自業自得だとも言える。この絶望的なシーンをどこまで独裁政権のせいにできるかはわからない。でもこれが平和な社会だったら。彼が彼女をひとりにすることはなかった。妻とずっと一緒にいられた。

独裁者がもたらした繁栄と、多すぎる悲しみと憎しみ。暴力や貧困の作用はじわじわと広がり、絆や愛を破壊してゆく。

 

独裁者には小さな孫がいた。幼い、愛らしい男の子。その男の子は大統領の後継者で、大切に育てられていた。

クーデターの後、大統領はその小さな孫と逃亡する。結局国外脱出の前に見つかってしまい、大統領の圧政に苦しんできた村人たちは大統領をすぐに処刑しようとするのだが、ある囚人(釈放されている)がそれを止める。憎しみに憎しみで返してはいけないと。独裁者を殺した後は国民どうしが殺し合うようになると。

しかしその説得虚しく、大統領の首ははねられる(と、わたしは解釈している)。そこで映画は終わる。憎悪の連鎖は断ち切れない。その国の未来を観客に予想させるラストだった。

 

 

孫役の男の子がとても可愛いし、いい演技をしている。孫の小さな恋人マリア役の女の子も可愛い。この幼いふたりが、この映画のアクセントになっていたと思う。

 

【作品情報】

『大統領と小さな孫』

監督: モフセン・マフマルバフ 

出演者: ミシャ・ゴミアシュヴィリ、ダチ・オルウェラシュヴィリ

制作国: ジョージア・フランス・イギリス・ドイツ

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