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【映画】『ブリッジ・オブ・スパイ』

ネタバレ含みます。今後観る予定の方はご注意ください。

 

スピルバーグ監督の映画をそれほどたくさん観ているわけではないけれど、いかにもスピルバーグらしい作品だと思った。家族を、国を、そしてひととひととを描いた作品。

 

舞台は冷戦下のアメリカ。ソ連のスパイとして逮捕されたアベルの弁護を引き受けるドノバン。米国の敵であるアベルを、国民から非難されつつも弁護し、減刑に成功させる。その後ソ連に拘束されたアメリカのスパイとアベルの交換のため、東ベルリンへと交渉に赴く。

 

なんのために、だれのために生きるのかは、生きている限りつきまとう問いで、しかも簡単に答えが見つからない問いで、しばしば生きることを困難にさえする。どんなひとであれ、多かれ少なかれ、大小あれど、使命感を抱きながら生きてるのではないだろうか。信じるもの、大切なものを守るため。この作品を観て、そんなことを考えた。

 

アメリカの進んだ司法制度と人権意識を見せつけるために、アベルの「形式上」の弁護を任せられるドノバン。裁判は出来レースアベルの有罪は決まっていた。それでも自分の信念に従い、ドノバンは懸命に弁護する。敵国のスパイを弁護するドノバンに、国民は冷たかった。それは国家の要人も然りで、出来上がったシナリオをかき乱すドノバンを厄介者とみる。しかし事態は変わり、一変してドノバンのその能力を買い、アメリカにとって重要な交渉役として任命。交渉は成功する。

わたしはこのストーリーに、「国という強大な力に屈せず信念を貫く」という構図を見出さなかった。国家とドノバンは対立関係にない。ドノバンの、母国への忠誠を感じた。スピルバーグっぽいと感じたひとつの理由がこれだ。アメリカのために尽力する弁護士と、その一人の男を一つの駒として動かくアメリカ。

アベルソ連の関係も同じだ。アメリカに協力を求められても、母国への忠誠を頑なに守り、決して寝返らなかったアベル。アメリカからソ連へと引き渡されるとき、ドノバンはアベルの帰国後の身の安全を心配する。敵国に拘束されていたスパイへの処遇は、想像に難くない。アベルはドノバンに「同胞が自分をどうするかは、引き渡されたときに抱擁されるか(車の)後ろに座らせられるかでわかる」と言う(セリフうろ覚え)。引き渡しが行われたグリーニッカー橋を渡った後、アベルがどのように迎えられるかを見つめるドノバン。アベルは車の後部座席に乗せられた。

わたしはこのシーンが一番印象的だった。どんなに国のために働いても、どんなに国に尽くしても、国はそれに報いてくれるわけではない。結局は都合のいい兵隊に過ぎない。国と、その国を思うひとりの人間との関係の非対称性に、なんとも言えない虚しさを感じた。これは「ミュンヘン」で感じたものと同じだ。イスラエルのために過激派組織の暗殺の密命を受けるアヴナー。家族と離れ危険にさらされながらも作戦を忠実に行うアヴナーに、イスラエルは優しくなかった。

それでもスピルバーグ作品に救いがあるのは、家族という帰る場所を用意しているところだ。信じ、尽くしてた「国」に裏切られても、最後に「家族」がちゃんと待っていてくれている。典型的だけど、そこに救われる。彼らが本当に守りたいものは家族だ。なんのために、だれのために生きるのか。それは「家族」で、家族が暮らす「国」だ。

 

あとは細かいところをいろいろと。

ここも「ああスピルバーグっぽい」と思ったところなんだけど、セリフがちゃんと狙ってる。ユーモアっぽくしてる。ドノバンが「不安は?」と聞きアベルが「役に立つのか?」と返すやりとり。いいね。こういうの好きです。

本筋じゃない社会問題の提起もまた然り。終戦後の東西ドイツの格差。ベルリンの壁。終盤の「子供たちがフェンスを乗り越える」シーンは誰が見てもわかるあからさまともいえる演出なんだけど、わかりやすくていい。小難しければいいってもんじゃない。

スピルバーグはなんでもエンタメにしてしまう。彼に社会問題は描けない」といはよく言われていることみたいだけど、事実をどう表現して伝えるかは一律じゃなくていい。スピルバーグ作品のようであってもいい。そう思います。

あと、アベル役のマーク・ライランスが素敵。穏やかなおじさん(おじいさん)なんだおけど、なんだかかっこいい。

 

なんだかスピルバーグ監督絶賛の記事みたいになってしまいましたが、そんな気はないです。

 

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【作品情報】

『ブリッジ・オブ・スパイ』

監督:スティーヴン・スピルバーグ

出演:トム・ハンクス

   マーク・ライランス

製作国:アメリカ

公開:米2015年10月 日2016年1月