ベーグルに憧れている

書きたいときに書きたいことを

【雑記】紅茶のような存在になりたい

文章を書くことがすきです。子供のころ、作文や読書感想文はまったく苦じゃありませんでした。将来は書く仕事に就きたいとも思っていました(全然違う仕事してますが)。

書くことがすきだから、こうして文章を書けて、多くはないですが読んでくださっている方がいて、やっぱり嬉しいです。

でもたまに、「こうやって書いていることに何の意味があるんだろう」と思ってしまうことがあります。すきならただすきで意味なんて考えずに書いていればいいんだけど。そもそもこんなただただ思うがままに書いてるブログに意味なんか求めちゃだめでしょうとも思うんだけど。

それでも「なにこんな無意味なことやってるんだろう」と虚しくなることがあるのは事実で、それはなにもブログだけじゃなくて、他の趣味についてもそうです。効率性とか合理性とかそういうことを重視したがる癖がたまに顔を出します。出さなくていいのに。

そういうときに思い出す、漫画のシーンがあります。山田南平さんの『紅茶王子』という花とゆめの漫画です。紅茶の王子様が出ていてお願い事を3つ叶えてくれるというファンタジックな少女漫画なんですが、結構セリフが良くて、今でもたまに読み返します。おすすめです。ぜひどうぞ。

どういうシーンかというと、その紅茶の王子様が、「自分の仕事の存在意義が無意味に思える」とか言いだします。自分の仕事とはお願い事を叶えてあげることなんですが、そのお願い事って、「ささいな願い」に限定されているんです。ひとの気持ちを動かしたりすることはもちろんできない。頑張れば自力で何とかなるくらのことしか叶えられない。

そうやってちょっと落ち込んでいる王子様に主人公の女の子(普通の人間)がこう言うんです。主人公ちょっと興奮しているので口調が荒々しいです。

ひとはっ どーして紅茶を飲むの!

紅茶じゃなくてもいいよ 他にも お菓子とか お酒 なくっても死なないよ 生きていくのに必要ないよね

(中略)

なくても生きてられるけど あれば生きるの楽になるよっ

 (『紅茶王子』(18)68-70頁)

これ、わたしにとっての小説や映画や漫画もうそうだなって思いました。なくても(ぎりぎり)生きていける(はず)だけど、あれば生きるのが楽になる。生きるための助けになってくれている。それらの存在に、とても救われている。

だから、とてもとてもとてもおこがましいのですが、わたしの書いた文章も、誰かのそういう存在になれたらいいなって思います。わたしが書いてる文章はきっと、いいえきっとではなく「なくてもいいもの」です。なくても誰も死なない。でももし、誰かにとってわたしの文章が紅茶のような、お菓子のようなお酒のような、あれば生きるのが楽になるちょっとした存在になれたら、とてもとても嬉しいなと思っています。