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【仕事】仕事の名言“「後悔する」ようなやり方をしてたことに激しく後悔する”

仕事の話です。

わたしは事務職のOLです。普通の。決して華々しいお仕事ではありません。就職活動が思うようにいかず望んだ会社には入社できませんでした。拾ってくれた今の職場には感謝しているし、ここで働くことを決めたのも結局は自分です。それに、わたしは今の自分の仕事が嫌いではないし、頑張れば出世だって夢じゃない。やりたいこともまだまだたくさんあります。

恵まれていると思います。

有給休暇も時期を考えればそれなりに取得できる。昨年度は9連休を2回もいただきました。残業代もほぼ出る。年々給料は上がる。恵まれていることはわかっています。

 

それでも最近、仕事が辛いです。

仕事量が多いわけではありません。上司が厳しいわけでもまったくありません。人間関係はいいとは言えないまでも、苦痛で苦痛で仕方がないなんてことはありません。

なにがそんなに辛いのか。

自分の仕事が評価されていないことだと思います。生意気ですね。まだ入社数年目なのに。社会人の大先輩からは「黙れ若造!」と言われそうですよね。

承認欲求と言えばいいのでしょうか。認められたいんです。自分がした仕事を評価してもらいたいんです。(そして出世したい)

仕事は嫌いではないと書きましたが、それは全体的に見てであって、個々の仕事については嫌な仕事が多いです。それでも仕事だから、求められる質以上のものは成果として出したいし、それが当然だとも思っています。だから頑張るけれど。だけど、それが評価されない。

「評価が低い」のではないのです。そもそも「評価」というものがなされていない。直属の上司、その上の上司も人事評価については意識が低い。年功序列が未だ根強く残る我が社において人事評価など大したものではないのです。

仕事をしてもしなくても横並びの評価を与えられ、同じように昇給する。働きたくない人にとっては幸せな環境です。

わたしはわがままなので、それじゃ嫌だと思ってしまう。組織がそれでうまく回っているのならもう組織の方針として仕方ないけれど。

幸いなのかわかりませんが、わたしの仕事は「誰かにために」ということが明確です。具体的な個人ではないけれど、大きな社会集団のための仕事であることは確かです。だからその「誰かのために」を掲げ頑張っていけばいいのです。

そうなんだけど、それってわたしの場合、限界があるなと思いました。わたし自身、「誰かのために」だけで頑張れると思っていました。お給料や昇任という目に見える形であらわれなくても、自分の仕事をすることによって誰かのためになっていると考えれば、辛くてもやっていけると思っていました。

 

大好きなミスチルの歌、「彩り」。

僕のした単純作業が この世界を回り回って

まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく

そんな些細な生き甲斐が 日常に彩を加える

モノクロの僕の毎日に 少ないけど 赤 黄色 緑 

もう頑張りたくない、頑張れないと思ったときに聞く歌。麻薬のように、辛さを緩和する誤魔化し。コーヒーを相棒にしながら書類を手際よく消化していく。そんな毎日です。それでも誰かのためになるのなら。誰かが笑ってくれるのなら。そう思っていたんだけどなあ。

 

こんな感じで、いつもいつも高いモチベーションを保ち続けることが難しいくなっている今日この頃ですが、それでも手を抜きたくない理由があります。仕事をしっかりこなしたって成果を出したってそれが評価され何かに反映されることがなくったって、ああもう適当でいいやって開き直れない理由があります。

「彩り」のような利他的な理由ではありません。そこまでわたしはいい人ではありません。

本当に単純ですが、自分が後悔したくないからです。「もっとできた」と思いたくないからです。

仕事をしていると、たまーに「ありがとう」と言ってもらえることがあります。「助かった」と言ってもらえることがあります。何の因果か、割と嫌々やった仕事に多いです。前向きな気持ちでやっていなかった仕事だからこそ、「ありがとう」と言われたとき、「ああもっとちゃんと取り組めばよかった」と思ってしまいます。後悔するのです。ちゃんと、真面目に取り組まなかったことに。自分ができる最大限の力を使わなかったことに。

 

「後悔する」ようなやり方をしてたことに激しく後悔する

働きマン」という漫画に出てくるフレーズです。わたしの好きな言葉。恐れ多くもとても共感してしまいました。

成功させられなかった悔しさって、それが全力でやったと自覚しているのなら、しばらくは悔しくて悔しくて仕方がないけれど、多分いつか消化できる。でも「可能性を残す」やり方で取り組んでしまったときって、どうしてもありもしない「もし」を考えてしまって後悔する。そしてその後悔はなかなか消えてくれない。

 

手を抜かないことって、結局は自分にとっての免罪符なんじゃないかなと思います。

全力でやることが正しいとは思いません。仕事は結果だと思っています。頑張るという精神的なことはあまり好きではない。だから自分が真面目に取り組まなかった仕事であっても結果的にうまくいき誰かから「ありがとう」と言われたのなら、それはそれでよかったのかもしれません。それでも、わたしは思ってしまいます。「もっと頑張ればよかった」って。そしてその後悔がずっと自分を呪縛する。その呪縛が辛いから、その後悔を感じたくない。後悔を感じないために、精神論甚だしいのですが、手を抜きたくない。

自分に対するうしろめたさを消化できない弱さなんですよね。

 

それにしても、仕事でもらう「ありがとう」っていいですよね。それがこうやって悩みの種になってはいるんですが。なにもかもいやになったとき、こういう温かい言葉をもらえると、もう少し頑張ろうかと思ってしまいます。人生を諦められなくなってしまいます。