ベーグルに憧れている

書きたいときに書きたいことを

【旅行】カンボジア・ベトナム2~出発、シェムリアップ着~

カンボジアベトナム旅行記の続きです。

 

朝の7:15くらいに空港着。10時半のベトナム航空のフライトで、8時過ぎにはチェックインカウンターが開きました。前回乗ったトルコ航空は遅延、前々回と前々々回のエミレーツはそこまでフライトの遅れはなかったものの、チェックインカウンターが開くのはとても遅かったので、ここまでスムーズにチェクインできたことに少し驚きました。

 

チェックイン後、出国。出発まではラウンジでゆっくり。定刻通り出発。

シートは3・3の6列。パーソナルモニターなんて贅沢なものはなかったです(東京線だとあるんだろうなあ、いいなあ、と思いました)。

席は窓際でとってもらっていたのですが、よくあることですね、わたしの席にすでに座っている方がいらっしゃったんです。これほんとによくあることで、その座っている方は全然悪くなくて。なんでそういうことが起こるかというと、座席の表示がわかりにくいらしい、んです。頭上にAとかBとかCとか書いてあるあれです。今回わたしの席に先に座られていたのはご年配のご夫婦で、声をかけたら問題なく移動してくださったのですが、窓からの景色を楽しみにしていたみたいで少し申し訳なくなりました。わたしはそこまで席にこだわっていなかったので、そのままそこに座っていてもらえばよかったかなと思いました。

 

機内ではぼーっとしたり、うとうとしたり。機内食もおいしかったです。

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フィッシュorビーフ、だったのですが、後方の席だったのでフィッシュしか残っていませんでした。これも飛行機あるあるで、ビーフ希望の方が絶対多くないですか?後方の席だとビーフが残っていないことが多いです。用意する比率変えればいいのにと思ったりしています。ご年配の旅行客の「あら、ビーフないって。残念」との声に勝手に切なくなったりします。

 

時間通りにホーチミンタンソンニャット国際空港着。こぢんまりとした綺麗な空港でした。トランジットです。出発まで時間があったのでバンブーラウンジへ。空いていて静かでした。食べ物飲み物も豊富で満足。フォー?みたいなものを食べました。

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シェムリアップへのフライトもほぼ定刻通り出発し、到着しました。ホーチミンシェムリアップは1時間くらいで到着。

そこまで問題はなかったのですが、このホーチミンシェムリアップ路線、出発までになんどかフライト時刻の変更がありました。「Advise Schedule Change」というメールが送られてきます。わたしは出発までに3回ありました。

あと、前回の準備でかけばよかったのですが、出発前に念のためベトナム航空にリコンファームの電話をしました。現在ベトナム航空はリコンファームの必要はないらしいのですが、あまりよい評判を聞かない航空会社だったので一応しておきたいと思って。そうしたら「当社はリコンファームは必要ありません」と言われてしまいました。お手数をおかけして申し訳ありませんでした。ただ、国内線や近距離路線はしばしばフライト時刻が変更になるので確認しておくとよい、とのことでした。

 

余談でした。

 

さて、20時半くらいにシェムリアップ着。小さな空港でした。パスポートコントロールがやや混雑していましたが、ビザを取得していたので早めに並ぶことができ、するする入国。荷物が出てくるのも早い早い。びっくりするくらいのスムーズさ。ここまで問題なく到着できるのはわたしの旅行にしては珍しいことなので、逆に不安になりました。

 

宿泊先にピックアップサービスをお願いしていたので、わたしの名前を持っている方を探します。すぐに会えました。トゥクトゥクで宿泊先に向かいます。

 

トゥクトゥクに揺られ、カンボジアの熱気を感じ、やっと気持ちが高まってきました。前回書いたとおり、今回、テンションがそこまであがっていた旅行ではなかったので。それでも、常夏の国で夜の風を感じ現地の匂いに包まれると、いろんな思いがこみ上げてきて、カンボジアに来たんだという実感がふつふつとわいてきました。2012年の夏にインドネシアに行って以来の東南アジアで、国は違えどどこか懐かしい気持ちになりました。

旅行先に着いて感じる、こういう気持ちがすきです。飛行機を降りた瞬間、空港を出て街に着いたとき、感じる現地の気候や匂い。「ああ遠いところに来たんだな」と感じる瞬間が心地よいです。旅のよろこびのひとつです。

 

mitakiitayonnda.hatenablog.com

 

【旅行】カンボジア・ベトナム1~動機と準備と日程~

休暇をいただき、旅行に行っていました。1月16日(土)から1月25日(月)。カンボジアベトナムです。前回のイスラエルほどにテンションは高くないですが、備忘録もかねて旅行記を書いていきます。

 

【動機】

形式が自由研究みたいになってきた。動機。そのまま。カンボジアベトナムに行こうと思った理由です。

1月にどっか行けたらいいなあとはイスラエルから帰ってきたあとから思っていました。候補にあがったのは、ポルトガルと、カンボジアベトナムでした。ポルトガルへはずっと行きたいと思っていて、航空券もそんなに高くなかったので、割と行く気満々でした。カンボジアベトナムについては、そんなに積極的な気持ちではありませんでした。カンボジアベトナムの主目的はアンコールワットなんですが、このアンコールワットに対して、そこまで行きたい行きたいという強い思いがなかったんです。でもアンコールワット、いたるところで「行ってよかった旅行先」としてあげられてるじゃないですか。わたしの心はそこまで踊っていないのですが、いや行ってみたらすごいのかもしれないとりあえず一回は行っておかなきゃ、と、いつかは行かなきゃいけない場所としてずっとひっかかっていました。

「行きたい」としてはポルトガルが断然上だったのですが、「行かなきゃ」ではアンコールワットが上回り、ひっかっかってることはさっさと消化しちゃおう的な感じで、今回はアンコールワットに決めました。で、カンボジアに行くならついでにベトナムも行っておこうと、この2国への旅行が決定しました。

別に行きたくないなら行かなきゃいいんですよね。何をこんなに「行かなきゃ」と思っているのか自分でもよくわかりません。ただ、多くの人が「よかった!」というものって、見てみたんです。気になる。そういう性分なんだと思います。

 

【準備】

11月末くらいに航空券をとりました。ベトナム航空だったので、直接HPから予約。

ホテルを予約したのは年末から年始にかけて。カンボジアベトナムとそれぞれ。どっちもホテルのHPから直接。

カンボジアのVISAを年始に申請。HPからのe-visa。次の日にもう許可のメールが来ました。早い。

すごい勢いで仕事を終わらせる。これも準備のひとつです。

 

【日程】

16日(月)日本→ホーチミン(トランジット)→シェムリアップ 20:30くらい着。

17日(日)シェムリアップアンコールワット内回り見学

18日(月)シェムリアップ:ベンメリア見学

19日(火)シェムリアップアンコールワット朝日見学、外回り見学

20日(水)シェムリアップ:街をぶらぶら

21日(木)シェムリアップ:ロリュオス遺跡群見学→ハノイへ 19:30くらい着。

22日(金)ハノイ:街をぶらぶら。ホアロー収容所。

23日(土)ハノイホーチミン廟、タンロン遺跡見学

24日(日)ハノイ:街をぶらぶら 20:00くらいに空港へ。

25日(月)ハノイ00:15の便で日本へ。

ざっとこんな感じです。

 

なんとも無機質な内容でしょう。ほんとに自由研究みたいなフォーマットになってしまった。

次からはもう少し面白味のある内容を書きます。しばしお付き合いくださいませ。

【雑記】紅茶のような存在になりたい

文章を書くことがすきです。子供のころ、作文や読書感想文はまったく苦じゃありませんでした。将来は書く仕事に就きたいとも思っていました(全然違う仕事してますが)。

書くことがすきだから、こうして文章を書けて、多くはないですが読んでくださっている方がいて、やっぱり嬉しいです。

でもたまに、「こうやって書いていることに何の意味があるんだろう」と思ってしまうことがあります。すきならただすきで意味なんて考えずに書いていればいいんだけど。そもそもこんなただただ思うがままに書いてるブログに意味なんか求めちゃだめでしょうとも思うんだけど。

それでも「なにこんな無意味なことやってるんだろう」と虚しくなることがあるのは事実で、それはなにもブログだけじゃなくて、他の趣味についてもそうです。効率性とか合理性とかそういうことを重視したがる癖がたまに顔を出します。出さなくていいのに。

そういうときに思い出す、漫画のシーンがあります。山田南平さんの『紅茶王子』という花とゆめの漫画です。紅茶の王子様が出ていてお願い事を3つ叶えてくれるというファンタジックな少女漫画なんですが、結構セリフが良くて、今でもたまに読み返します。おすすめです。ぜひどうぞ。

どういうシーンかというと、その紅茶の王子様が、「自分の仕事の存在意義が無意味に思える」とか言いだします。自分の仕事とはお願い事を叶えてあげることなんですが、そのお願い事って、「ささいな願い」に限定されているんです。ひとの気持ちを動かしたりすることはもちろんできない。頑張れば自力で何とかなるくらのことしか叶えられない。

そうやってちょっと落ち込んでいる王子様に主人公の女の子(普通の人間)がこう言うんです。主人公ちょっと興奮しているので口調が荒々しいです。

ひとはっ どーして紅茶を飲むの!

紅茶じゃなくてもいいよ 他にも お菓子とか お酒 なくっても死なないよ 生きていくのに必要ないよね

(中略)

なくても生きてられるけど あれば生きるの楽になるよっ

 (『紅茶王子』(18)68-70頁)

これ、わたしにとっての小説や映画や漫画もうそうだなって思いました。なくても(ぎりぎり)生きていける(はず)だけど、あれば生きるのが楽になる。生きるための助けになってくれている。それらの存在に、とても救われている。

だから、とてもとてもとてもおこがましいのですが、わたしの書いた文章も、誰かのそういう存在になれたらいいなって思います。わたしが書いてる文章はきっと、いいえきっとではなく「なくてもいいもの」です。なくても誰も死なない。でももし、誰かにとってわたしの文章が紅茶のような、お菓子のようなお酒のような、あれば生きるのが楽になるちょっとした存在になれたら、とてもとても嬉しいなと思っています。

 

 

【映画】『ブリッジ・オブ・スパイ』

ネタバレ含みます。今後観る予定の方はご注意ください。

 

スピルバーグ監督の映画をそれほどたくさん観ているわけではないけれど、いかにもスピルバーグらしい作品だと思った。家族を、国を、そしてひととひととを描いた作品。

 

舞台は冷戦下のアメリカ。ソ連のスパイとして逮捕されたアベルの弁護を引き受けるドノバン。米国の敵であるアベルを、国民から非難されつつも弁護し、減刑に成功させる。その後ソ連に拘束されたアメリカのスパイとアベルの交換のため、東ベルリンへと交渉に赴く。

 

なんのために、だれのために生きるのかは、生きている限りつきまとう問いで、しかも簡単に答えが見つからない問いで、しばしば生きることを困難にさえする。どんなひとであれ、多かれ少なかれ、大小あれど、使命感を抱きながら生きてるのではないだろうか。信じるもの、大切なものを守るため。この作品を観て、そんなことを考えた。

 

アメリカの進んだ司法制度と人権意識を見せつけるために、アベルの「形式上」の弁護を任せられるドノバン。裁判は出来レースアベルの有罪は決まっていた。それでも自分の信念に従い、ドノバンは懸命に弁護する。敵国のスパイを弁護するドノバンに、国民は冷たかった。それは国家の要人も然りで、出来上がったシナリオをかき乱すドノバンを厄介者とみる。しかし事態は変わり、一変してドノバンのその能力を買い、アメリカにとって重要な交渉役として任命。交渉は成功する。

わたしはこのストーリーに、「国という強大な力に屈せず信念を貫く」という構図を見出さなかった。国家とドノバンは対立関係にない。ドノバンの、母国への忠誠を感じた。スピルバーグっぽいと感じたひとつの理由がこれだ。アメリカのために尽力する弁護士と、その一人の男を一つの駒として動かくアメリカ。

アベルソ連の関係も同じだ。アメリカに協力を求められても、母国への忠誠を頑なに守り、決して寝返らなかったアベル。アメリカからソ連へと引き渡されるとき、ドノバンはアベルの帰国後の身の安全を心配する。敵国に拘束されていたスパイへの処遇は、想像に難くない。アベルはドノバンに「同胞が自分をどうするかは、引き渡されたときに抱擁されるか(車の)後ろに座らせられるかでわかる」と言う(セリフうろ覚え)。引き渡しが行われたグリーニッカー橋を渡った後、アベルがどのように迎えられるかを見つめるドノバン。アベルは車の後部座席に乗せられた。

わたしはこのシーンが一番印象的だった。どんなに国のために働いても、どんなに国に尽くしても、国はそれに報いてくれるわけではない。結局は都合のいい兵隊に過ぎない。国と、その国を思うひとりの人間との関係の非対称性に、なんとも言えない虚しさを感じた。これは「ミュンヘン」で感じたものと同じだ。イスラエルのために過激派組織の暗殺の密命を受けるアヴナー。家族と離れ危険にさらされながらも作戦を忠実に行うアヴナーに、イスラエルは優しくなかった。

それでもスピルバーグ作品に救いがあるのは、家族という帰る場所を用意しているところだ。信じ、尽くしてた「国」に裏切られても、最後に「家族」がちゃんと待っていてくれている。典型的だけど、そこに救われる。彼らが本当に守りたいものは家族だ。なんのために、だれのために生きるのか。それは「家族」で、家族が暮らす「国」だ。

 

あとは細かいところをいろいろと。

ここも「ああスピルバーグっぽい」と思ったところなんだけど、セリフがちゃんと狙ってる。ユーモアっぽくしてる。ドノバンが「不安は?」と聞きアベルが「役に立つのか?」と返すやりとり。いいね。こういうの好きです。

本筋じゃない社会問題の提起もまた然り。終戦後の東西ドイツの格差。ベルリンの壁。終盤の「子供たちがフェンスを乗り越える」シーンは誰が見てもわかるあからさまともいえる演出なんだけど、わかりやすくていい。小難しければいいってもんじゃない。

スピルバーグはなんでもエンタメにしてしまう。彼に社会問題は描けない」といはよく言われていることみたいだけど、事実をどう表現して伝えるかは一律じゃなくていい。スピルバーグ作品のようであってもいい。そう思います。

あと、アベル役のマーク・ライランスが素敵。穏やかなおじさん(おじいさん)なんだおけど、なんだかかっこいい。

 

なんだかスピルバーグ監督絶賛の記事みたいになってしまいましたが、そんな気はないです。

 

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【作品情報】

『ブリッジ・オブ・スパイ』

監督:スティーヴン・スピルバーグ

出演:トム・ハンクス

   マーク・ライランス

製作国:アメリカ

公開:米2015年10月 日2016年1月

【雑記】「絶対に○○しない」目標を決めて過ごしてみた

相変わらずの低迷期。だめなときってとことんだめ、なにをやってもうまくいかない。びっくりするくらい。ふふふ。

以前にラジオで「絶対に幸せにならないって生きてみると結構幸せだったりする」という話を聞いた。それを思い出した。「○○しなきゃ(ならなきゃ)、でもできてない(なれてない)」という状態ってストレスなんだろうなと思った。ということで、普段「○○しなきゃ」と思っていることの少しを、今日1日だけやめてみる、というか、絶対にしないと決めて過ごしてみることにした。

 

決めた目標は3つ。

・絶対に人に背筋を伸ばさない。

・絶対に笑顔で対応しない。

・絶対に「気付いた人がやる仕事」をやらない。

社会人としてどうなの、と思われるとちょっとあれなので少し予防線を張っておくと、わたしの仕事が「お客様(組織外の方)と接する仕事」ではないので設定できた目標だと思います。

 

結果から先に書きます。目標は達成できませんでした。

背筋が伸びてるし、笑顔になってるし、ゴミ捨てに行ってました。「あ、だめだ、背筋伸ばしちゃった!」「あ、今笑ってた!」って気付いて、「いけないいけない絶対に背筋伸ばさないんだった」と反省するんだけど、すぐ忘れる。習慣って怖い。

 

でも、気持ちはとても楽でした。「絶対に誰にでも笑顔で接しなきゃ」と思っていると、少しでもそれができないとものすごく自責の念にかられてしまう。できないんだったらそんなこと自分に課さなきゃいいのにって思われそうですが、そこが弱さなんですよね。自分を律していないと自分を保てない、これはわたしの中では弱さだと認識しています。だからあえて、いつも「しなきゃ」と思っていることを「絶対にしない」と決めてみる。期間を限定して(1日だけと決めて)。

そしたらとてもともて楽でした。「しなきゃ」と思っていることができていなくても自分を責めることなく過ごせる。むしろ今日はしちゃいけないことなんだし。

 

どうしてもどうしてもつらいときの応急処置的な方法ですが、ちょっとだけおすすめします。

 

 

 

【映画】『恋とニュースのつくり方』

新年早々、元気ないです。こんな報告いらないかもしれませんが、元気ないです。うまくいかない。うーん、よろしくない。生きてるの辛いなと今日ずっと思ってました。よろしくない。そういうときは映画だ。そうじゃないときも映画だけど、そういうときこそ映画だ。読書だってランニングだってハーゲンダッツだってなんでもいいんだけど、ほんのちょっとでも人生終わったモードから脱出できるなら、いろんな手段に頼ろうじゃないか。そして今日は映画。映画館ではないんですが。

 

今日は『恋とニュースのつくり方』。とりあえず元気になりたいんですよ。少しだけ前を向きたいんですよ。だからこの作品を選択。

 

勤めていたローカルテレビ局を解雇された主人公・ベッキー。再就職先は全国ネットの番組を放送するテレビ局。朝のワイドショー「デイブレイク」のプロデューサーとして番組を任せられる。低視聴率に悩む「デイブレイク」の改革に奮闘するベッキー。打ち切りの危機を乗り越え、仕事も恋も万事OK!

アメリカのラブコメ。The アメリカンラブコメ。気の強い女性、仕事も恋もうまくいかない!でも頑張る!うまくいく! …いいですね、うらやましい。こういう映画って、いわゆる「映画好き」からはあんまり評判がよくない。特にアラサー独身女性がこういうの観てると痛い人認定される。いいじゃないほっといてよこういうの観ないとやっていけないの!って叫びたいです。

 

ところで主人公ベッキー、28歳らしい。一瞬どきっとした。なぜならわたしと同じ年齢だからです。

昔からの夢を追いかけ、でもいまだ実現できていないベッキーに母親がこう言うんです。

8歳の子が大きな夢を抱くのはスゴいことよ
18歳でもすばらしいわ
でも28歳?世間に恥ずかしいわ

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ずきっときました。わたしが今、特に大きな夢を持っているかというと全然そうではないんだけど、なんだか28歳、もう攻める年齢ではないのかなあと思ってしまった。結婚して親になっていい意味で(ほんとにいい意味で。全く皮肉ではなくて)安定を手に入れて幸せそうにしている友人たちを傍目に、まだまだ仕事が楽しくてやりたいこといっぱいあって小さいけれど目標もあって。そういう自分が幼くて甘い気がしてくる。

 

こういう映画でよくある、というか、結局「仕事か恋か」みたいな命題、わたしはあんまり好きではなくて、どっちも頑張りたい。別に「仕事がしたいから結婚はまだ先なの」なんて全然思っていない(お相手がいないだけです)。ただ、恋人もいなくて結婚なんて予定もなくてそれなら仕事を頑張ろうと思ってがむしゃらになっていると、ふと、思ってしまうことがあります。「この先に何があるんだろう」って。どんなに組織に尽くしても、辛いとき悲しいときそして楽しいときを、組織は共有してくれるわけではない。ずっと一緒にいてくれるわけではない。そう考えると、わたしは何をしてるんだろうって思ってしまうことがあります。

 

ベッキーの同僚?で、有名なニュースキャスターのマイクは、ずっと家族よりも仕事にかけてきた人でした。家族といても仕事優先。その結果、どうなったか。マイクはこう言います。

その結果は何か
最後に残るものは無
無だ

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それでもね、こうも思うんです。やっぱりわたしにとって仕事は人生の重要な一部で、例えば恋がうまくいっていても、むしろうまくいっているなら、仕事、頑張るんじゃないかな。仕事がすべてじゃないと思うし、私生活を犠牲にしてまで働きづめたいとは全く思わないけれど、例えば宝くじで10億円当たっても、何らかのお仕事はすると思うんです。社会で、人に認められたい。上を目指して自己研鑽する。そういうことが好きです。(最近「早く週末にならないかな」と常に思っているのは内緒ですが)

 

終盤で、ベッキーがヒールでNYの街を駆け抜けるシーンがあります。

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これ、ルブタンのヒールだと思うんですが(違ってたらごめんなさい、指摘してください)、このシーンが大好きです。かっこいい。強い女性はかっこいい。

 

書いてたらちょっとだけ元気が出てきた。次のボーナスでルブタン買おうかな。

 

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【作品情報】

恋とニュースのつくり方

監督:ロジャー・ミッシェル

出演:レイチェル・マクアダムス

   ハリソン・フォード

製作国:アメリカ合衆国

公開:米 2010年11月 日 2011年2月

【映画】『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』

2016年一本目。劇場ではないですが。

 

【あらすじ】

高校卒業を控えた主人公アンディ。成績は優秀だが家は裕福ではなく、学校では上流階級の同級生にばかにされることも。ある日アンディに思いを寄せる大企業の息子ブレーンにデートに誘われる。アンディもブレーンを憎からず思っている。プロムへの参加を迷っていたアンディだが、そのブレーンに誘われ、大喜びで参加を決意する。しかし、アンディとブレーン、互いに思い合っている二人を階級の壁が立ちはだかる。

 

【感想】

正統派青春ラブストーリー。予定調和な感じが心地よかった。爽やかで微笑ましい映画。うまくいきすぎる、というか、ストーリーが単純なんだけど、主人公たち高校生だし、これでいい。シンデレラはお姫様にならなきゃいけないんだ。

それにしても、高校生の付き合いにこれほどに階級が影響を及ぼしているとは、アメリカという国らしさだなと思いました。

アンディの衣装や部屋も可愛い。身に着けているものや部屋の装飾がおしゃれ。特にプロムのピンクのドレスは素敵。わたしの年齢がもう少し下だったらとてもテンションが上がっていたと思う。

 

印象に残ったシーン。プロムへの参加に後ろ向きなアンディに、バイト先の店長が「欠席した女の子があとで後悔してたわ。自分の人生に何かが欠けてるって。何が足りないか考えたあげく彼女は悟ったの。プロムに行かなかった事だと」というところ。

このセリフ、なんだかわかる気がします。人生の節目節目にいろいろな行事があって、わたしも実際それらがそんなに好きじゃない。卒業式とか成人式とか。そういうイニシエーション的なイベントに価値があるとはあまり思っていない。ただ、それらをスルーしてしまうと、なんだか少し、自分に埋まっていない部分があるような感じがしてします。それこそそのセリフのように、「何かが欠けてる」感じ。だからわたしはそういう儀式、いやいやでも参加しています。

 

 

それにしても、アメリカの映画でしばしば重要な役割を担う「プロム」という行事、いわゆる卒業パーティー的なものだと思うんだけど、これって結構酷じゃないですか?男女ペアで参加するのが基本みたいで、男の子が女の子を誘う、らしい。こんな行事が日本であったらわたしはもっと社会を嫌いになっていたと思います。

 

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【作品情報】

『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』

監督:ハワード・ドイッチ

出演:モリー・リングウォルド

   アンドリュー・マッカーシー

   ジョン・クライヤー

製作国:アメリカ合衆国

公開:米 1986年2月 日 1986年11月

 

【雑記】2016年のちょっとした抱負と手帳の紹介

あけましておめでとうございます。昨年はお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆様の2015年の振り返りや2016年の抱負を読むとわたしも頑張ろうと思えるので、ぜひぜひたくさん書いてください。期待しています。

わたしは2015年、なんだかぼやーっと過ぎてしまった感じがします。2014年の勢いには及ばなかったかなあ。2016年は2014年を超える、勢いのある年にしたいです。

2016年の目標?抱負?みたいなののひとつに、「とことん悪いひととして生きてみる」というのがあります。別に今でもいい人じゃないんですが、「いい人じゃないことを責めている自分」がいるんですよね。「こんな邪な考えをしている自分って最低だ…」みたいな感じ。それ自体は悪いことではないと思うんですが、「そうやって自分を責めている自分」を免罪符にしているんじゃないかと思って。だったらいっそ、もう自分はそういう最低な奴だと思っていきてみるのもいいんじゃないかな、と。「わたし性格悪いから」と公言して開き直るのは幼稚だけど、どうしても綺麗になれない自分がいるのなら、そこはもう、人からとことん嫌われることを覚悟で、そういう自分を一旦受け入れることをやってみます。いいひとになる努力はしていきたいですが。

あとは、量を重視する年にしたいです。どちらかというとわたしは質に固執している気がします。モノではなく、コトに関して。勉強とか、読書とか、ひとまず量、こなしてみたい。

 

さて、手帳を買いました。普段使いのものではないんですが、これです。

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「KINENOTE DIARY 2016」。映画ダイアリー。マンスリーとウィークリーで構成されているので、普通に予定書いたりできるんですが、わたしは映画に関することを書き込む用として使う予定です。

 

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これはウィークリーページ。

毎日映画に関するちょっとしたエピソードが載っているので、映画を選ぶ際のヒントになります。「今週の1本」として1週間にひとつ映画を提案してくれているので、これも映画鑑賞には役立つかなと思いました。ただこの「今週の1本」、名作が多いので、映画通の皆様には物足りないかもしれません。

まだまだ使い始めて間もないですが、記録していくのが楽しみです。

 

新年っていいですよね。背筋がしゃんとして、何かを始めたくなる。いい年にしていきます。

【映画】『女子ーズ』

時間はあるし特にやることもない、自由に使える幸せな時間なのに、なぜかなにもしたくないときってありませんか。わたしはあります。前日まで勢いよく読んでいた小説の続きも、すきなお笑い芸人が出ているテレビも、最近はまり始めた英語の勉強も、ぜんぶぜんぶ「これじゃない!」っていうときがあります。そういうときって大抵はこころがくさくさしてるときなんですよね。ほんとになんにもしたくないけど暇。眠くないし。で、余計にくさくさくさくさ。よろしくないです、大の大人が。

でもあるんですよ、少なからず、そういう日が。おおきなヘマをしたわけじゃないけどなんだか自分の仕事に退屈を感じてしまっていたり、将来性のない関係だとわかっていながら相手に何かを期待してしまったり、大好きなともだちの幸せを喜べない自分に落ち込んだり、こういう、緩やかなマイナス。大泣きするほどの激しい感情があるときはまだいい。泣いて泣いて泣いて寝たらさあ頑張るかって思えるから。それとは違ってこの重くて鈍いマイナスな感情はやっかいなんだ。どうすればいいかわからない。やっかいなんだ。

 

こういう日に見ましょう。

暇つぶし。究極の暇つぶし。それが必要。こういうとき、なにも考えなくていい、ただただどうしようもなくゆっくり進んでゆく時間を埋めるためだけの映画って重要なんだ。何も得ようとしせず、何も感じようとせず。たまにはいいでしょ。

 

女の子たちがとても可愛い。高畑充希ちゃんとても可愛い。それだけで見る価値ある。

 

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【映画情報】

『女子ーズ』

監督:福田雄一

出演者:桐谷美玲 他

公開年:2014年

 

【映画】『独裁者と小さな孫』

「明かりを消せ」

たったひとことで、たった電話一本で、大統領は街中の明かりを消すことができる。理由もなく。大統領の命令は絶対で、その国ではすべては大統領の意のままになる。大統領は、独裁者だ。

大統領は国を豊かにした。高層ビルを建てた。美しい、近代的な都市を作った。

大統領は国を貧しくもした。田舎では食べることすらままならない国民がたくさんいた。

そして大統領はたくさんひとを殺した。不穏分子を始末した。平和のために。自分のために。

そして、だから大統領の体制は崩壊した。クーデターが起こった。街中の大統領の写真に火がつけられた。

 

 

独裁すなわち悪であるとは、必ずしもそうだとはわたしは思わない。ただ、独裁政権がもたらす悲劇、国民の苦しみは、多くの歴史が証明している。なんでだろう、と思う。どうして独裁者は国民の不満に気付くことができないのだろう。もっと国民のことを考えていれば、自分や自分の家族だけじゃなくて、国のすみずみまで見ることができていれば。

 

印象に残っているシーンがある。

政権に不満を持ち国民を扇動した罪で服役していた男が、釈放されて家に戻る場面。男は妻の存在が服役中の支えだったという。彼女がいたから拷問にも耐えられた。数年ぶりにその愛妻がいる家に帰る。再会。彼女には子供がいた。別の男との。釈放された男は、妻に会うことだけを希望に生き延びたその男は、絶望してその場で命を絶つ。

彼女が彼を待てずに別の男性と一緒になってしまったのは彼女の弱さだし、そもそも愛する女性をひとりにしてしまったその男の自業自得だとも言える。この絶望的なシーンをどこまで独裁政権のせいにできるかはわからない。でもこれが平和な社会だったら。彼が彼女をひとりにすることはなかった。妻とずっと一緒にいられた。

独裁者がもたらした繁栄と、多すぎる悲しみと憎しみ。暴力や貧困の作用はじわじわと広がり、絆や愛を破壊してゆく。

 

独裁者には小さな孫がいた。幼い、愛らしい男の子。その男の子は大統領の後継者で、大切に育てられていた。

クーデターの後、大統領はその小さな孫と逃亡する。結局国外脱出の前に見つかってしまい、大統領の圧政に苦しんできた村人たちは大統領をすぐに処刑しようとするのだが、ある囚人(釈放されている)がそれを止める。憎しみに憎しみで返してはいけないと。独裁者を殺した後は国民どうしが殺し合うようになると。

しかしその説得虚しく、大統領の首ははねられる(と、わたしは解釈している)。そこで映画は終わる。憎悪の連鎖は断ち切れない。その国の未来を観客に予想させるラストだった。

 

 

孫役の男の子がとても可愛いし、いい演技をしている。孫の小さな恋人マリア役の女の子も可愛い。この幼いふたりが、この映画のアクセントになっていたと思う。

 

【作品情報】

『大統領と小さな孫』

監督: モフセン・マフマルバフ 

出演者: ミシャ・ゴミアシュヴィリ、ダチ・オルウェラシュヴィリ

制作国: ジョージア・フランス・イギリス・ドイツ

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